お熱いのがお好きではない、長谷部先生。
憲法審査会で与党推薦の長谷部先生が安保関連法案を違憲と述べました。長谷部先生を知っていらっしゃる方なら当然と思うでしょう。私も法科大学院で最初に憲法を習ったのが先生でした。
憲法、それは熱い学問、と考えていた私には先生のアメリカナイズされた功利主義的でロジカルで醒めた論法は衝撃的でした。おそらく55年組と言われる先生たちの世代はその前の全共闘世代の熱さを不快に思っていた気がします。いわゆるしらけ世代ですね。
今日は、その先生の「押しつけ憲法論」批判のロジックを紹介します。初めは、魂がこもってないな、と思っていましたけど、最近はその味わい深さを感じています。
まず、日本国憲法が制定された時点では、まだ大日本帝国憲法下であることを知っていなければなりません。そして、「押しつけ憲法論」の前提は国民主権であることに気が付かなければなりません。そうです、大日本帝国憲法は天皇主権です。国民主権も押し付けられたものなのです。国民主権だけ所与の前提として受け入れ、それに基づいて憲法を排撃するのはあまりにも都合のよい議論だということです。
さらにいえば、大日本帝国憲法も天皇(もしくはその裏の政府)によって押し付けられた欽定憲法なのですから、押しつけ憲法論を言う人はそこら辺から論理を組み立てなおさなければならないのではないでしょうか。
古の知恵とサブプライムローン問題
これまで紹介した民法の条文に共通していえることは、ローマ法までさかのぼれる古い条文の知恵が残っているということです。おそらくその古い条文にも、さらに古くから積み重ねられてきた人間社会の知恵が込められているのでしょう。それは、浅はかな現代的な知恵とは違い、相当に確実なものに違いないと考えます。僕はそれを信用しています。そういう意味では僕は真の意味で「保守派」です。
では、そうした知恵が条文から失われた悲劇を今日はご紹介します。
民法466条1項前段には「債権は譲り渡すことができる。」とあります。実は、ローマ法では債権は譲り渡すことができなかったのですが、経済取引が盛んになり、不便とされ、こうした条文になってしまいました。原則不可能、例外可能という形ならまだいいでしょうが、ここには条文の元の姿が消え去ってしまっています。
ローマ法では、債権は特定の貸す人と特定の借りる人とを結ぶ「法の鎖」(vinculum iuris)とされていたので、その二人から切り離してはいけないものでした。それが信用というものだということです。その信用の上にしか貸し借りは成立しないと考えていたのです。
たとえば、こうした古の知恵を忘却したことのつけが、サブプライムローン問題で現出しました。見も知らない人たちの債権が切り売りされ金融証券に混ぜ込まれ、さらに世界中にばらまかれました。そこには信用のかけらも存在しないのです。疑心暗鬼が金融危機に発展していくのは当然です。
僕たちが食べる食品もそういう観点から考えると面白いかもしれません。**さんが作ったほうれん草とか、そういうのは大切なことなのかもしれません。
投票所への「道」
もう一つ好きな条文に民法210条というのがあります。
「他の土地に囲まれて、公道に通じない土地の所有者は、公道に至るため、その土地を囲んでいる他の土地を通行することができる。」
一般的には、袋地の人の利便、袋地の社会的効用のため、などといわれています。多分、現在の実務においてはそれでいいのだと思います。
しかし、わが恩師、ローマ法の権威、木庭顕先生は、この条文は、広場=投票所に行って投票をするためにある、とおっしゃいました。つまり、経済的な効用とかではなく、投票する権利のためにあるのだと・・・
そう思うと条文の公道の「公」という文字もまた違って見えてきます。道は利便性のためだけではなく、民主主義のためにもあるのでではないかと象徴性を感じます。
小平の「道」をめぐる住民投票。小平の「道」は民主主義のためにあるのでしょうか?
住民投票の際に市議会議員の補欠選挙をすべきではなかったのか?
次点にまつわる条文を調べてみた。
①市町村議会の場合、選挙期日から3か月以内に欠員が出たら、法定得票数に達した者の中から、選挙会で繰り上げ当選者を決める(公選法112条5項)。
②選挙期日から3か月経過後なら、定数の6分の1を超えて欠員がでたら(小平なら5人)補欠選挙をする(同113条1項6号)。
③それだけの欠員がでなくてもその地方公共団体の他の選挙(小平なら市長選)の際に補欠選挙をする。ただし、市長選の期日告示日10日前以降に議長から欠員の生じたことを選管に通知があった場合はその補充はしない(同113条3項)。
※議長の通知は欠員の生じた日から5日以内に通知しなくてはいけないから、やりようによっては、欠員が生じても市長選の告示日の15日前以降なら補欠選挙をしなくてもいいことになる。
確かに、住民投票は公選法の「選挙」の定義に入らない(同2条)が、住民投票条例13条には公選法の準用規定がある。113条3項の規定を準用しなくてよいのか?(「投票場所、投票時間、投票立会人、開票場所、開票時間、開票立会人その他の住民投票の投票及び開票に関し」準用することになっている)つまり、住民投票の際に市長選出馬のため失職なさった方の1名の補欠選挙をしなくてもよかったのか?
平成27年4月26日執行小平市議会議員選挙を終えて
この度の小平市議会議員選挙では、残念ながら次点という結果に終わりました。私の力不足を心からお詫び申し上げます。一方で、1430人もの方々の投票をいただき、深く感謝申し上げます。
私の大好きな条文に、民法648条第一項というものがあります。委任を定めた条文の一つです。「受任者は、特約がなければ、委任者に対して報酬を請求することができない。」つまり、報酬を請求しないことが基本だということです。
委任の代表的な例は弁護士との契約です。例えば、弁護士に仕事を依頼するときには報酬を支払うのが当たり前と理解されていますが、どうしてこのような条文があるのでしょうか。
この条文には、法律の原初的な考え方が色濃く残っています(ちなみに、こういう話は司法試験に向けた勉強では触れられることがありません)。一説には、委任をされたということは、それだけで光栄なことだから、報酬などいらないからだとされています。つまり、委任されることの光栄さはプライスレスだということです。
代表民主制において、投票していただいたということは、委任を受けるということそのものです。私は、今、この条文の意味を心の奥底から実感しています。そして、あと一歩のところで、期待に応えられなかったことに激しい反省の念を抱いております。
私は委任された事務を履行し終えていません。民法653条にはこうあります。「委任は、次に掲げる事由によって終了する。 一 委任者又は受任者の死亡 二 委任者又は受任者が破産手続開始の決定を受けたこと。 三 受任者が後見開始の審判を受けたこと。」
私はまだ「終える」ことができません。必ず、1430人の方から委任された事務を履行してみせます。そのために、何事が起こっても対処できるよう、運動の原点に立ち戻り、地道な日々の努力を積み重ねていきたいと考えております。
引き続き、ご支援、ご鞭撻の程よろしくお願いします。