福島と東京の意識の落差
福島に帰ると、実感するのは、東京都の意識の落差だ。
たとえば、夕方6時台のNHKローカルの話題はほとんど原発事故と震災関連のニュースだ。ほのぼのニュースも、ホッキ漁が再開し、ホッキ飯が食べられる・・・サーファーたちが震災で汚れた浜のゴミ拾い・・・そして最後に、各地の放射線量が丹念に伝えられ、F1の海の放射性物質の情報、これが毎日、伝えられる。
買い物に行く。道すがら除染作業にぶつかった(下記写真)。これが日常。マスクをした作業者の横をマスクをしない私が通る。
東京にいると、時間の経過とともに、放射能のことを忘れていってしまう。福島にいると、「放射能が降」り続けている。
東京は福島の感覚がわからない。逆に、福島は、東京の感覚をわからない。
もしかしたら、基地問題に関して沖縄と本土にも同じような落差があるのかもしれないと思いを巡らす。
開園直前、被災し、汚染された私の家のすぐ裏の保育園。Eテレで注目された。庭の土を入れ替え、なんとか開園した。通りかかると、シャッツとパンツを泥だらけにして子供たちが遊んでいる。園庭にはモニタリングポストが立っている。「1.41」。事故直後はこのすぐ裏のあたりで2.7の値が出た。
その前にあった田圃は今は、稲作をあきらめ、メガソーラーになっている(下記写真。奥にあるのが保育園)。
この写真は家の裏のアパートの横で撮っている。このアパートには何人かの被災者が住んでいる。
福島市渡利で放射線量を測ってきました
久しぶりに、福島の家に帰り、気になっていた放射線量を測ってきました。福島市渡利というところで、当初、それほど影響ないと言われていましたが、事故後数か月たって、事故直後の降雪の影響でホットスポットだとわかったところです。
事故直後、家のすぐ近くで2.7μ㏜/h(以下単位略)や3.3というとんでもない値が出ていて、家も除染することになりました。
除染後、どれだけ収まったか確認すべく、測定器をお借りして測ってきました。
ちなみに小平市中央公園の噴水前が0.126でした。
家の中0.19、庭物置前0.228、庭汚水桝上0.476、除染した廃棄物が埋められている(中間貯蔵施設が確定するまで保管)庭上0.262、雨どい(開放タイプ)上0.602(下記写真)。
そして、事故後汚染されているのを知らされず、私が泥だらけになって、草取りをしたお墓に行ってきました。今回の大きな目的はここ。思いっきり被ばくしたのではないかと国民怒りの声です。ここはまだ、除染されていません。
墓の上045、脇の雨水が流れるところ0.718、隣の墓との間の水がたまりやすいところ1.35(下記写真)
少し早いが、6月1日に解散がなくても解散同日選挙がありうる理由
マスコミの記事を読むと、国会の会期が6月1日だからそこで解散して40日以内の7月10日に同日選が・・・という話が出てくる。
あれ、会期中に解散ってしなきゃいけないんだっけ?憲法や国会法にはそんな条文なかったんじゃないかな、と思い、読んだはずの長谷部先生の教科書を読みなおすと、ちゃんと書いてあった。
すっかり忘れている。政策担当秘書資格者としては恥ずかしい。
明文で定められていないが、大日本憲法にさかのぼっても、これまで一度も会期外で解散はしたことがない、ということだ。
しかし、学界の通説は、会期外でも可能ということらしい。細かい法学論争は省く。
長谷部先生はこれにかみついている(甘噛みレベルですが)が、とにかく、そうであるなら、集団的自衛権よりずっと合憲的なのだから、そして、そういうウルトラCをやってしまう政権なのだから、国民がこれでしばらく衆議院選ないなと思ったところで、いきなり、解散同日選ってこともあるのではないでしょうか?
6月半ばぐらい(最悪6月末近く)まで要注意ですね。
能動的解散権について
衆議院解散による衆参同日選が巷間で口にされているが、そもそも内閣不信任に基づかない解散権が首相にあるかどうかは学説的に議論があるところで、ただ、現実としてそうなされてしまっている。レファレンダム的機能をその根拠とするが、争点一つで選挙をするというのは粗雑すぎる。
この内閣不信任に基づかない解散権を能動的解散権と名付けた場合、例えば、G7諸国ではそうしたものがあるのか調べてみた。
アメリカにはそもそも解散がない。
イギリスとカナダは最近の法改正で解散がなくなった。
ドイツには受動的(内閣不信任に基づく)解散権はあるが、能動的解散権はない。
フランスには大統領に能動的解散権のみがある。イタリアにも大統領に能動的解散権のみがある。双方とも首相には解散権がなく、実質的には政治的混乱の内閣不信任状況で大統領が首相に代わって解散権を行使すると言っていいだろう。
あまり外国がどうのこうのとは言いたくないが、空手形の解散権が与えられているのは日本ぐらいだろう。許されるとしても、選挙で勝てるタイミングで解散するというのは許されないことは自明のことである。
もし、憲法改正をするなら、能動的解散権を禁止し、レファレンダムを規定すべきではないか。原発の可否などは総選挙で争点になりにくいことから言えば、うってつけの対象である。
東京19区は今のままなのか?
自公の衆院選制度改革「0増6減」案が成立の方向である。
違憲状態の衆議院で憲法改正をするのはリスクが高いので、制度改革後でなければ衆議院解散はないと考えていたので、これで早ければ、来年早々あたりに衆院選挙の可能性が出てきた(もちろん、この改革でも違憲の可能性は十分にある)。おそらく、政府周辺のブレーンや官僚も同様に考えていただろう。
しかし、安倍首相のことである。何を考えているかわからない。衆参同日選挙の可能性をまったく否定するわけにはいかない。
この法案で、私の東京19区がどうなるのか?19区の一票の価値は軽いのである。したがって、今の区割りのままではない可能性が出てきた。
私の机上の計算では、国立市を外すとちょうどいいぐらいになる。
同じ市でもどこかで線引きをしたりするかもしれない・・・アメリカのゲリマンダーのようなことにはならないでほしい。
「マッドマックス2 怒りのデス・ロード」が象徴するもの
「マッドマックス2 怒りのデス・ロード」がアカデミー賞を6部門受賞し、日本でもキネマ旬報ベスト10の外国映画部門で1位になった。
4月2日から、立川シネマシティが新たに6000万円超のスピーカーを導入し、極上爆音再上映するらしい。
僕も昨年、妻に誘われ観た。はじめ乗り気ではなかった。確かに、最初のものは傑作中の傑作だと思うが、果たして・・・アート系映画好きを気取る僕としては・・・
が、確かに面白かったのだ。
映像、デザイン、音響はずば抜けていた。しかし、何よりも、そのストーリーに惹きつけられた。
詳細については、実際に見ていただくか、他に譲るとして、印象的だった部分をいくつか挙げよう。
核兵戦争後の世界なのだろう。生活環境が汚染され、生存者達は物資と資源を武力で奪い合い、文明社会が壊滅し、砂漠のような荒廃した世界だ。
「水」を支配する集団。「燃料」を支配する集団がある。この二つの要素は人間社会の基礎的な部分なのであろう。それぞれ、独裁者がそれを管理している。
マックスは、水の集団につかまり、環境汚染で病んでいる住人の供血に利用される。
その集団の軍隊を統率する女性大隊長は、燃料を支配する集団と取引をする任務を任されたのを奇貨として、出産の役割を担わされている女性たちを引き連れ逃亡を計る。
この水の集団では、女性は出産の道具か、搾乳の道具として扱われているのだ。
まさに、女性の活躍推進!
そして、マックスはその逃亡を追う兵士の「血液袋」として車に繋がれ争いに巻き込まれる。
まさに、一億総活躍社会!
彼女らは女性大隊長が生まれた「緑」の地を目指す。
途中、マックスは車から脱出し、女性たちと共闘し、追っ手を追い払っていく。
そして、ついに、大隊長を知る緑の地から来た女性たちと出会う。
しかし、「緑」の地も土壌汚染されてしまってもはや緑の地ではなくなっていることを知る。「緑」の地から来た女性たちの手にはそこから持ってきた植物の球根が握られている。
どうする?
彼女らは戻ることを決断する。「水」を支配する社会を変えるのだ。
当然、追っ手との正面切っての激しい戦いが始まる。
緑の地から来た女性たち、じつはみんな高齢だ。しかし、めちゃくちゃ強くかっこいい。市民活動をするとよく見られる風景だ。
そして、ついに、支配者を倒し、「水」を支配する社会にもどり、「水」を市民に解放する。
市民は女性大隊長を新しいリーダーとして迎える。
マックスはそれを見届け、かっこよく去っていくのだ。おお、ダンディズム。貴種流離譚。
ちなみに、僕はこの映画のせいで突発性難聴になり、病院に行きました。