丹治ひこ太

こだいらまちづくり日記

ヘイトスピーチと表現の自由、そして定義づけ衡量

 ヘイトスピーチと例えば政治的言論といったその他の表現とでは自由が質が違うということ理解していない人や、違いはあると思うけどどう違うかが正確な理解ができていないという人がいらっしゃると思う。
 憲法学的には、違うとされている。
 例えば、芦部信喜憲法」にはこう書かれている。

 「性表現・名誉棄損的表現は、わいせつ文書の頒布・販売罪とか名誉棄損罪が自然犯(筆者註:社会規範からして自明の犯罪)として刑法に定められているので、従来は、憲法で保障された表現の範囲に属さないと考えられてきた」
 ヘイトスピーチは「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」(ヘイトスピーチ法)が存在している以上、この「従来は、憲法で保障された表現の範囲に属さないと考えられた類型」に入る。
 なぜ、そうなのかというと、例えば、長谷部恭男「憲法」にはこう説明されている。
 「これらの行為類型を定義する際に、規制を正当化する利益と憲法上の自由との衡量がすでに行われていると理解されることになる」
 つまり、立法(議会)の過程で、民主主義的に議論がされて、一定の決着がついているということになるからだ。

 芦部はつづけて、こう説明する。

 「しかし、そのように考えると、わいせつ文書なり名誉棄損の概念をどのように決めるかによって、本来憲法上保障されるべき表現まで憲法の保障の外におかれてしまうおそれが生じる。そこで、わいせつな文書ないし名誉棄損の概念の決め方それ自体を憲法論として検討し直す考え方が有力になってきた。つまり、それらについても、表現の自由に含まれると解したうえで、最大限保護の及ぶ表現の範囲を確定していくという立場である」「この立場は、性表現について言えば、わいせつ文書の罪の保護法益(筆者註:その罪が保護している利益)・・・との衡量をはかりながら、表現の自由の価値に比重をおいてわいせつ文書の定義を厳格にしぼり、それによって表現内容の規制をできるだけ限定しようする考え方で、定義づけ衡量(definitional balancing)論と呼ばれる」
 もちろん、この類型は、この類型に属さない表現に比べれば緩く違憲審査がなされる(憲法学では、表現の自由の重要性をそれを規制する法律が違憲であるかどうかの審査の際の厳しさで考える。重要性が低ければ緩い審査でよく、重要性が高ければ厳しい審査が必要となるからだ)。つまり、この類型の重要性は低いとされる。
 合憲性の判断の具体的方法を、長谷部はこう説明する。「まず憲法が当該行為類型についてどのような定義を要求しているかを判断しているうえで、問題となった規制が、その行為類型の定義に該当するもののみを規制の対象としているか否かによって行われる。」

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