市民「都道小平3・2・8号線の計画決定の認可証を見せてください!」東京都「・・・見つかりません」 その4
前回までは、東京都は旧都市計画法に基づく必要な認可を得ていなくて、それが、「大東亜戦争」という非常事態の中で作った行政の手間を省く臨時的な法律を、戦後20年近く経っているのに使っていたから、ということまでお話ししました。
今日は、実は、同様なことが、過去に裁判で争われていたことを、お話しします。
近鉄特急事件。
昭和55年に近鉄の特急の利用者が、料金値上げをめぐって、料金の認可の取り消しを求めたものです。
法律を勉強したら、必ず覚えていなければならない事件で、試験対策的に言えば、最高裁が、訴えた人は原告になる適格がないと門前払いしたということを押さえておけばよいものです。通り一遍の学習をする僕のような者はそれで終わり。
ところが、この事件も、今回と同じように、先の戦時中の臨時措置法を使って認可の手間を省いて、それが争点になっていたのです!!
しかも、なんと、地裁は、適格を認めたうえで、臨時措置法は、戦争の終結によってその効力を失ったとし、料金変更を違法としたのです!!
雑に言えば、今更戦時立法じゃないんじゃない、という判断。
臨時特措法は戦争の終結で無効だという判例が存在する!!
判決後、共産党の議員が、この判決に対し、国会で質問もしています。
では、その後、どうなったか?
そう。最高裁で門前払いです。
門前払いすれば、臨時特措法に触れなくて済む。最高裁がそう考えたかどうかはわかりません。それが政府のご意向かどうかはわかりません。もし、触れたら、戦時立法について無効の判決を出さざるをえなくなっていたのかもしれません。それを逃れるには門前払いしかなかったのかもしれません。
実は、このような戦時立法の迂回手段は他の都市計画でもたくさん使われています。そして、それが裁判で争われ始めました。
そして、それらの裁判が、ことごとく「和解」という決着をしています。
和解なら判例になりません。
決着をつけるのが怖いのかもしれません。
しかし、今度の私たちの裁判はなかなか「和解」にはできにくいでしょう。
どうなるか?
次回の裁判は、11月11日(金)14:00東京地裁522です。
興味のある方はどうぞ傍聴をしてください。
ベーシック・インカム学習会始めます。
小平市教育委員会主催市民学習奨励学級で「ベーシック・インカム」の学習会を行います。ぜひご参加ください。
市民「都道小平3・2・8号線の計画決定の認可証を見せてください!」東京都「・・・見つかりません」 その3
都道小平3・2・8号線の計画決定は、旧都市計画法が適用されるが、それにしたがっていない(認可証がない)ことを述べた。そうであるならば、計画決定は違法であり、無効である。
しかし、からくりがあった。昭和38年当時、こんな法律が生きていたのである。
1 大東亜戦争ニ際シ行政簡素化ノ為必要アルトキハ勅令ノ定ムル所ニ依リ法律ニ依リ許可、認可、免許、特許、承認、検査、協議、届出、報告等ヲ要スル事項ニ付左ニ掲グル措置ヲ為スコトヲ得
一 許可、認可、免許、特許、承認、検査、協議、届出、報告等ヲ要セザルコトトスルコト
第一条 戦時行政特例法及許可認可等臨時措置法ノ規定ニ基ク都市計画法ノ特例並ニ大東亜戦争中ニ於ケル都市計画法施行令ノ特例ハ本令ノ定ムル所ニ依ル
第二条 左ニ掲グル認可又ハ許可ハ之ヲ受クルヲ要セズ
一 都市計画法第三条ノ規定ニ依ル内閣ノ認可
確かに、条文だけ見れば、都市計画決定に内閣の認可はいらない。しかし、この法律、「大東亜戦争」に際し簡素化が必要だから作ったもので、戦後20年近く経って使っていいの?
そうである、実は、これと同じことが問題になって、決定が無効であるという判例が出ているのである。
それがなんと、法律を少しまじめに勉強した人なら全員知っている「近鉄特急事件」である。
え?と思った人もいるかもしれない。それは判例の要旨だけを覚えた予備校的勉強をした人だ(という私も同じだった)。
その4に続く・・・。
市民「都道小平3・2・8号線の計画決定の認可証を見せてください!」東京都「・・・見つかりません」 その2
その1では、表題のようなやり取りがあったことをお話しした。
法律的にどういうことかというと、都道小平3・2・8号線は1963年8月3日に計画決定された(こんな昔の計画を根本的に見直ずに行うことにも疑問!)。
つまり、旧都市計画法が適用される(現在の都市計画法は1969年6月14日施行)。
旧都市計画法にはこうある。「都市計画、都市計画事業及毎年度執行スヘキ都市計画事業ハ都市計画審議会ノ議ヲ経テ主務大臣之ヲ決定シ内閣ノ認可ヲ受クヘシ」(3条)
計画決定の際に内閣の認可が必要なのだ。当然認可証も出される。
それが見つかりません?
実は、認可証がないであろうことは、こちらは国立公文書館で調べていて、確信していた。
見つからないとは、どういうこと?
この謎の解明は次回につづく。
玉城デニーさんと「ベーシック・インカム」についてお話ししました。
現在、明確に「ベーシック・インカム」を政策にしている政党は「生活の党と山本太郎となかまたち」と「緑の党」です。
玉城デニーさんは、「生活の党と山本太郎となかまたち」で「ベーシック・インカム」の実現に向けて頑張っていらっしゃいます。
その玉城さんと、「ベーシック・インカム」についてお話しする機会をいただきました。励ましの言葉をいただき、元気をいただきました。
ということで、 小平市の奨励学級でも、「ベーシック・インカム」を学ぶ学習会を行います。
11月12日、12月10日、平成29年1月14日、2月25日の土曜日 午前10時〜12時(2月25日は午後1時半~3時半に最終回を追加) 全5回
ところ
中央公民館
費用
無料
対象
市内在住の方
定員
30人(先着順)
講師
主催
企画・運営
ベーシック・インカムを学ぶ会
申し込み先等、詳しくは近日中に正式にご連絡します。
「構造改革」って何?
「構造改革」という言葉を最初に聞いたのは、左翼的な文脈だった。ところが、いつの間にか、政府自民党までが使う用語に代わっていた。
デジタル大辞泉には、「構造改革」「1 独占資本主義体制を議会主義の枠内で段階的に変革することによって、根本的な社会改革を実現しようとする考え方。第二次世界大戦後にイタリア共産党のトリアッティが提起した政治理論。」「2 社会が直面している問題を改善するために、政治・社会制度や産業構造などの抜本的な改革を推し進めること。日本では、小泉純一郎政権(平成13年4月~平成18年9月)が「構造改革なくして景気回復なし」「聖域なき構造改革」などのスローガンを掲げて断行した郵政民営化・三位一体改革・医療制度改革などの一連の新自由主義的な施策を指すことが多い。」とある。
最近では、すっかり、第一の左翼的文脈では使われなくなり、第二の「規制緩和」を具体的な手段とする新自由主義的文脈で使われている。そして、いまだに、それに期待している多くの人がいる。自民党の2016年参議院選のマニフェストにも「成長に資する構造改革」という言葉が並ぶ。
しかし、小泉、安倍第一次政権下では、いざなみ景気を超える史上最大の景気回復をしたのに、多くの人はそれを実感できなかったということを思い出してほしい。
仮に、規制緩和で構造改革して、景気が回復し、経済成長しても、多くの人は貧しいままなのだ。
そういう意味で、わたくしたちは、大きな視点で「構造改革」をすべき時が来たのではないだろうか。新自由主義的な構造改革といった小さな改革は「構造改革」という言葉で表現するには貧しすぎる。「構造小細工」に過ぎない。本来の左翼的な意味に近い、いや、それよりももっとダイナミックな「構造改革」が必要となっている。
たとえば、最近とみに言われ始めている「資本主義の終焉」といったものを前提とした社会構造の改革が必要となっているのかもしれない。
最近のポピュリズムと言われる投票行動の心の奥底には、もしかしたら、そういうことへの気付きがあるのかもしれない。ただ、その発露の方法は間違えはているが。
先日、テレビ番組で何気なく、下村元文部大臣が、経済成長を前提としない経済システムについては政党関係なく考えている人がいるという言葉を漏らし、結構驚いた。そういうレベルまで、深いところでは動いているのかもしれない。
いつ、それが表立った政策となっていくのか、有権者の気持ちをうかがいながら動いていくのだろう。