丹治ひこ太

こだいらまちづくり日記

国家緊急権(緊急事態条項)は、発動の条件のみならず、解除のタイミングも問題となる

  30年程前、台湾に友人を訪ねたことがあった。若い人は知らないかもしれないが、そのころはまだ台湾は独裁政権下で、戒厳令が敷かれていた。
 戒厳令、つまり、今問題となっている緊急事態条項が発動している状態だ。
 もちろん、だからといって、皆が想像しているような息の詰まるような社会なわけではない。経済活動もほぼ自由だし、人々は思い思いに日々を楽しんでいた。
 しかし、政治は独裁である。民主主義は成立していない。その反動は今の台湾の政治に反映していると思える。

 日本でも、もし、参議院でも三分の二になれば、安倍政権は、緊急事態条項を憲法に設ける形で、改憲をしたいようである。
 芦部先生は、国家緊急権について、実定法がなくても行使できる国家の自然権とすることは、過去の濫用の実態から完全に否定しつつ、憲法に①条件・手続き・効果などを詳細に定める方式と②大綱にとどめ包括的権限を特定の国家機関に包括的委任する方式の二つを紹介し、双方とも多くの問題点と危険性があるとしている。特に、②は濫用の危険性が高いとする。先日、テレビで紹介したワイマール憲法のそれだ。

 このような学説的な評価とそれを学んだ官僚と安倍政権との妥協点からすれば、おそらく、政府は①で攻めてくるであろう。
 しかし、そうした発動要件のみならず、私は一度発動してからそれを解除しないのではないかということを危険視している。

 なにしろ、先に紹介した台湾は38年間も戒厳令下だったのだ。

 一度発動したらこれをそのまま保持していることは政府にとっては都合がいい。解除しないのはおかしいという批判も国家緊急権でおさえることも可能である。
 哲学的に言えば、緊急事態条項は、メタレベルをオブジェクトレベルに落とし込もうとする問題である。

内閣支持率+与党支持率>100% = 与党大勝

 これを青木の法則(青木率、政権安定度指数)という。参議院のドンといわれた青木幹雄氏の経験則だそうである。
 50%以下だと政権崩壊。60パーセント以下だと黄色信号。80%で安定。100%を超えると大勝。

 直近の世論調査では、読売新聞(2月12~14日)は94%(内閣支持率52%+自民支持率42%)、朝日新聞(2月13、14日調査)は74%(同40%+同34%)である。

 両社の調査数字のかい離が激しいが、衆議院の解散時期を考えるうえで、面白い数字である。こうした視点から世論調査を見てみるのはどうだろうか。

 還付金付き消費税にすべき

 小泉政権下、新自由主義の旗振り役でありながら、その後猛省し、立場を変えた中谷巌さんが、『資本主義はなぜ自壊したのか 「日本」再生への提言』(集英社インターナショナル、2008)において、消費税の逆進性の解消法として、「還付金付き消費税」というものを提案している。

 軽減税率の逆進性緩和効果は薄い。なぜなら、低所得世帯では、食料品などに支出する金額が少なく、軽減税率に伴う実質的な還付額も小さくなり、軽減税率の対象を広げれば、かえって高所得世帯の実質的な還付額が増えることになるからである。

 その点、中谷さんが提案する 「還付金付き消費税」は緩和効果が高い。

 例えば、消費税を10%にUPするかわりに、国内在住の全ての人に一律に毎年10万円支給という方法である。

 これであれば、低所得であればあるほど消費税の負担が少くなる。そして、①消費税負担より還付金が上回る低所得者への実質的補助になる②子供といった扶養家族が多い世帯への負担は低減される③結果的に低所得者の可処分所得増での消費増に繋がる。という利点もある。

 これはベーシックインカムの考え方を基にしたものである。高所得者も含めて一律に同じ金額を支給するという点が味噌である。国民各層を分断しない政策が求められている。

 

憲法96条は見かけより遥かに弱く、より改憲しにくくなるよう改憲すべき。国民投票における改憲可決ラインを、64%に。

これは僕が思いつきで言っていることではない。「多数決を疑う」(坂井豊貴:岩波新書)での結論だ。
抽象性があり、論点が多次元的な法案、特に、憲法では、サイクル(例えば、X案とY案の二者択一が出されても、その裏にZ案があり、X>Y>Z>Xみたいな)がありうる。

ありえないためには理論上64%の支持が必要である。これを64%多数決ルールといい、プリンストン大の経済学者カプリンとネイルバフがエコノメトリカ誌(1988)に発表した。

日本では小選挙区制をとっているので、50%に満たない有権者で国会の発案が可能となるので、国民投票の可決ラインを64%にしないと間違った選択をしかねないらしい。

知人に貸し与えられ、前々から読もうとしていた本だった。

多数決が正しい解を出さないことを科学的にしっかりと証明したいい本である。

貸し与えられた理由は、都市計画道路小平3・2・8号線の問題が書かれていたから。

こういう道路問題のような+、-双方で特殊利益的な問題は多数決や民主制の理念と相性が悪い。

解決方法としてメカニズムデザインという方法を提唱している。

詳細は読んでください。ちょっと難しい。

住民投票で、道路を作る作らないという問いではなく、見直すか見直さないかという問いにしたことはすごいことだったんだなと改めて思う。

人間の尊厳

 Eテレの番組「シリーズ戦後70年 障害者と戦争 ナチスから迫害された障害者たち」を観ていたら、ドイツ人の方が「人間の尊厳」という言葉を口にしていた。

 ドイツ連邦共和国基本法1条1項は「人間の尊厳」の絶対不可侵を謳う。この言葉の背景にはドイツ人のナチスに対する反省がある。

 日本国憲法の「基本的人権」も「人間の尊厳」性に由来することに異論はない。

 ただ、「個人の尊厳」(24条2項)(=「個人の尊重」(13条))と「人間の尊厳」がまったく同じなのかどうかに関してはいささか議論がある。

 基本的にはそんなに変わりはない。それは間違いない。

 高橋和之先生は、「人間の尊厳」は「人間を非人間的に扱ってはならないこと、人間としてふさわしい扱いをすべきことを意味」し、「個人の尊厳」は「個人と全体(社会・集団)との関係を頭に置いた観念であり、全体を構成する個々人に価値の根源をみる思想を表現して」おり、だから「個人の尊厳」が特に結婚・家族に関する24条にあるのだとする。

 そう考えると「人間の尊厳」はカントの道徳法則の第二方式(「汝自身の人格にある人間性、およびあらゆる他者の人格にある人間性を、つねに同時に目的として使用し、けっして単に手段として使用しないように行為せよ。」)に近似する。

 一方、「個人の尊厳」については個人の「自由」に親和的と考えられ、青柳幸一先生(不祥事が先生の業績を損なうものではない)が述べられるように独文化と英米仏文化の差異をそこに読み込むことも可能であろう。

 私はこの二つの言葉に差異を見出すことに意味があるのではないかと考える。

 たとえば、冒頭に述べたナチスの虐殺さらされた障がい者にふさわしいのは「個人の尊厳」というよりは「人間の尊厳」という言葉ではないだろうか。極論すれば、「自由」や「人権」でもないだろう。

 現代においてはこの言葉はさらに重要な意味を持っていると考える。

 たとえば、人間に対する遺伝子操作である。学問・研究の自由(「個人の尊厳」)と生命倫理(「人間の尊厳」)という憲法上の対立利益として。

 数年前におそらく青柳先生が出題したのだろう新司法試験の生命倫理に関する憲法の問題も先生はそこまで考えていたのではないかと、後々になって想起する。

 このところ、「人間の尊厳」という言葉を吐き出したいと思う機会が多い。

 福島や沖縄の方々もこの言葉を吐き出したいのではないだろうか。

いやな感じ

 傑作である。どうしてここまで読まず来てしまったのか後悔この上ない。多感なときに読みたかった。

 でも、背伸びしがちな高校時代、題名を見て、なんか軽い感じがして、なよなよした中間小説だろうと思いこんで読まなかったんだよな。

 純文学的にいえばセリーヌである。大衆文学的にいえばロマン・ノワールであり、ハードボイルドでもある。

 窒息状態にある現在の純文学にはないパワーである。

 映画化すべきである。現代風にアレンジして園子温監督あたりにやってほしい。

 何の話かというと高見順の小説「いやな感じ」である。

 安保法案をめぐり、安倍政権に対し「いやな感じ」という言葉が投げかけられた。

 文学好きならこの小説を思い出しただろう。226事件を経て日中戦争に突入するその時代背景と重ねたくなるからだ。

 しかし、よく読めば、この両者の「いやな感じ」はかなり違っている。が、さらによく読むと、根本的なところで実は同じである。

 要は、時代の窒息感から生の拡充をめざし、逃れようとしても、うまくいかないそのいやな感じである。主人公はアナーキストとして革命に夢を託すテロリストである。

 無意味な殺人を繰り返し、最後は中国の戦場で、無辜の農民がスパイとして日本軍に斬首刑に会うその瞬間、娘の溺死、親友の憲兵による拷問死の知らせを受け絶望した彼は、自分にやらせろと兵隊から日本刀を奪い、中国人の首を切る。しかし、頚椎に引っかかってしまう。

 この中途半端な感じが「いやな感じ」なのである。さらに、それにもう一度刀を入れる。それでも、首の皮が残る。これが「いやな感じ」なのである。

 ここまでの殺人も、革命とは程遠い無意味な殺人である。窒息感から脱出しようとしてパワーを爆発させるが、なんの効果もないばかりか陰惨な結果しか生まないのである。

 この窒息感は現在の多くの日本人が感じているものだろう。特に、安倍政権の安保政策を支持している人たちにはその思いが強い。

 憲法を改正すれば窒息感から逃れられる・・・。軍備を増強し、武力で外国を威圧すれば窒息感から逃れられる・・・。

 しかし、それは幻想だ。集団安全保障(COLLECTIVE SECURITY)に向かうべき時代に、勢力均衡(BALANCE OF POWER)(集団的自衛権)を目指せば日本は孤立するだろう。そして、歴史の教訓として戦争の危険が高まる。

 アメリカの関心が中国に向いてく中、官僚の焦りはよくわかる。それを安全保障を利用しこっちを振り向かせようとするのは国益に害する。たとえ、尖閣で事件が起こっても、アメリカは助けてくれないだろう。

 今回の安保法案は皮肉だ。日本の軍備強化には役に立ったようだが、アメリカという最大の窒息感を与えている相手国と同盟関係を強化しなければならなくなったのだ。このねじれが、ますます窒息感を強めていくだろう。

 さらに、経済面で言えば、アベノミクスの失敗は間違いなく訪れる。

 もしかしたら、自然災害とダブルパンチでその悲劇は来るかもしれない。そうなったら、どうなるのだろう。

 実は、個人的には、最悪の場合、次の戦争はアメリカとの間で起こると考えている。憲法改正核兵器保有、孤立・・・歴史は繰り返す、最初は悲劇として、次は喜劇として。

 「いやな感じ」という歴史が繰り返されている。これを脱するには、政治の在り方、経済の在り方などあらゆる面でパラダイム的転換をすべきである。

 政治の面で言えば、今回の安保法案に対して行われたデモ。これはその萌芽として大切にしていきたい。熟議を前提とした住民参加の方向である。

 経済の面で言えば、費用が便益を上回る量的な経済の成長ではなく、便益が費用を上回る質的な経済的成長である。いわゆる定常経済である。

 社会保障の面で言えば、ベーシックインカムが有効だと考えている。

 いけない長くなった。

 終わります。

 

国会議員政策担当秘書資格試験に合格しました。

 国会議員政策担当秘書資格試験に合格しました。

 政策担当秘書制度は、国会改革の一環として、平成5年の国会法改正により、国会議員の政策活動を直接補佐する秘書を設けて、国会議員の政策立案・立法調査機能を高めるために創設されました。
 これにより、各国会議員は、公設秘書として、職務の遂行を補佐する2人(第一秘書・第二秘書)に加え、主として政策立案及び立法活動を補佐する秘書として政策担当秘書1人を付することができるようになりました(国会法第132条第2項)。

 給与は国費から出ます。

 しかし、議員に採用されないと役に立たない資格です。

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